民事不介入原則についての問題

 今回は少し固いタイトルになってしまいました。しかしこれも私が法律相談業務をしていてぶつかる問題の一つなのです。
 また少し前置きが長くなることを予めお断りします。いや、むしろ前置きのほうが長くなってしまうかもしれませんが、それが私の問題意識の出発点なのでお付き合いしてください。

 「民事不介入」原則というのは、皆さん一度は聞いたことがあると思いますけれども、警察は一々、犯罪とは関係のない個人間の紛争には立ち入りませんというものです。極端な例でいうと、「あの人は貸したお金を返してくれない。返せないものはしょうがないだろうなどといって、申し訳ないの一言もない。あつかましくけしからん、早く逮捕でもして下さい」と交番に駆け込んだところで相手にしてくれません。警察は「刑事事件」を扱うのであって、「民事事件」にはかかわらないということです。同じ「事件」という表現が可能であっても全く性質が異なるのです。
 そもそも、近代国家の法体系は「民事」と「刑事」に二分された構造になっています。近代国家の最大の価値は、個人一人一人が等しく人間として尊重されていて、その精神面、身体面での活動の自由が保障されるということです。ところが、そうはいってもお互いが勝手に行動するとお互いの利益がぶつかり紛争になるので、それを調整解決するのが「民事」事件です。ところがそれだけではなく、人の物を盗んでしまったり、他人を殺してしまったりするというレベルにまでなると、もちろんこれらは個人と個人の問題で「民事」事件ではあるけれども、それにとどまらない、このようなことはあっては決して許されてはならないはずだということで国が積極的に乗り出して、これらの行為を犯罪として処罰しようというのが「刑事」事件なのです。
 つまり警察が取り扱うのは、「刑事」事件だけなのであって、そのレベルに達しない日常的に起こる個人と個人の民事紛争には立ち入らないわけです。もし一々立ち入っていたら、近代国家の最大の価値である個人の自由は建前だけになりかねないからです。自由の尊重と、行き過ぎた自由を規制し処罰することとどちらが原則なのかということになってしまいます。

 問題はこれからです。
 私がここで言いたいのは、「刑事」事件と「民事」事件とは異なるのだということではなく、「刑事」事件と「民事」事件とは重なり合っていることが多いということなのです。前述のとおり、「民事」事件であると同時に、国家の立場から見ても容認できない一定の行為を犯罪として処罰しようというのですから当然のことです。もっとも厳密に言えば、民事事件ではないけれども国家の立場からは犯罪として処罰しなければならないという性質のものもあることは確かです。例えば覚せい剤などの薬物の問題がそれです。覚せい剤を所持しているだけでも、使っただけでも罪となります。これらは誰にも迷惑をかけておらず民事事件の性格はどこにもありません。しかし、民事事件であると同時に「刑事」事件とされるものがあるのは間違いのない事実です。

 そこで問題が起こります。
 例えばこんなことがありました。ある人が金融業者から金を借りたのですが、返せなくなってしまいました。金を返せないとなると金融業者の手の者がその人の事務所を占拠してしまったのです。鍵まで勝手に付け替えたりするので事務所に入ることもできません。このようなとき、その借りたお金を返済すれば問題が解決するであろうことは間違いないのですが、お金が返せないから問題なのです。このように債権者が勝手に債務者の住居、事務所等を占拠してしまうということは、明らかな犯罪行為です。住居侵入罪、あるいは不動産侵奪罪になることは明らかです。そこで私は警察に相談するよう助言したのです。すると、警察はこともあろうに、「借りたお金を返せばよいだけではないのか」、「返したのに占拠し続けているならば相談に乗る」、あるいは「あなたが自ら彼らと交渉してみて、あなたが暴力をふるわれて怪我でもしたら動こう」等と言われて何度か足を運んだが同じだったというのです。結局、事件は解決できませんでした。

 もちろんこれは民事事件でもあることは確かなので、警察の力を借りないで民事訴訟等で解決を図ることも可能です。しかし訴訟ではどんなに短くとも半年はかかるでしょう。また弁護士費用なども必要なわけです。ですが同時に、他人の事務所を勝手に占拠するがごときは犯罪行為であることは火を見るより明らかなわけですから、警察が乗り出して、あなた方に債権があるかどうかは判らないが、勝手に他人の事務所をのっとることは犯罪なのだと言明して追い出してくれれば済むことなのです。何も金を返さずに済ませて欲しいとかいうのではないのです。このようなとき警察が被害者のSOSを受け付けない理由にするのが「民事不介入」の原則なのです。

 実際、少しでも「民事」特に、財産をめぐる紛争が背景にあると思われたときは、なかなか警察は動いてくれません。しかしそれでは、強い者、法を法と思わない者のみが得をすることになります。いわゆる暴力団といわれる組織がいまだに健在なのは、このような行き過ぎた「民事不介入」原則があることも大きいと思います(もっとも10年位前から各地方公共団体で順次、暴力団排除条例等が制定されて来たため、だいぶ事情は変わってきてはいます。)。結局、民事事件が背景となって行われる犯罪は、やった者がちになってしまっているのです。

 これについてはさすがに反省の機運が高まってきているのは事実です。有名になったもので記憶に新しいのは埼玉県桶川市のストーカー殺人事件です。殺人事件になる前にも名誉毀損罪や脅迫罪などで対応できたはずなのに、放置したがために殺人事件にまでなってしまったのです。これなどは社会問題にもなったので、いわゆるストーカー規制法が制定される契機になりました。この法律が制定されることによって、「ストーカー等は男女間のトラブルに起因しているに過ぎない」、民事には介入しないとかいう理由で犯罪行為が黙認されることがなくなったのは大変結構なことです。しかし、問題はストーカーに限らないのです。

 私はこれからも懲りずに、問題提起を続ける意味でも、民事に関連した刑事事件でも犯罪に巻き込まれている相談者、依頼者には無駄かもしれないが警察に相談するよう助言しつづけるつもりでいます。
 社会的にも警察に寄せる期待はこれからどんどん増していくのだと思っています。警察の関係の方々にはよろしく民事アレルギーを起こさず、犯罪は犯罪として対応していただけますことを願ってやみません。よろしくお願いいたします。