非科学的な親子関係の認定基準に喝!!

 もう2ヶ月くらい前のことになるでしょうか(この記事は2007年5月にアップしています)。私にとっては全く理解不能な最高裁判所の判断が下されました。皆様もニュースで大々的に取り上げられましたのでお気づきでしょう。タレントの向井亜紀さんの双子のお子様が法律上は向井亜紀さんのお子様ではないとされた最高裁決定のことです。
 今回はこの最高裁の決定についての疑問を投げかけたいと思います。

 私は詳しいことは存じ上げないので不正確なことを書いて失礼になるかもしれませんが、向井さんには、自分の胎内で胎児を育てて、普通に出産することができないという問題があったらしく、自分たち夫婦の受精卵をアメリカ人の某女性の胎内に着床させて、そのアメリカ人女性の胎内で胎児として育ててもらい、分娩してもらうことにし、その結果、めでたく双子のお子様を授かったという経緯です。
 太古の昔より、母親にとって自分の遺伝子を受け継ぐ血のつながった子供は、自ら「腹を痛めて産む」しかなかったわけです。他人が出産した子供はその他人の子供でしかなく、自分と血がつながっていたり、自分のDNAが引き継がれるなどということはあり得ませんでした。ところが医学の進歩はめざましいものがあり、他人に自分の子供を産んでもらうことを依頼することも可能なようになったわけです。
 さてともかく、このような経緯で生まれてきた子の母親は誰かというのが、今回の最高裁の決定のテーマでした。アメリカ人女性か向井さんかということです。
 私の感覚では、太陽が西から昇るようなことを目撃しない限りは、向井さんが母親であることは論ずるまでもないのですが・・・・最高裁判所の判断は逆だったのです。
 アメリカ人女性が母親であるというのです。確かにアメリカ人女性が「腹を痛めて」子供を産んでいます。でも、太古の昔からの当然の摂理とは異なり、医学の進歩で可能になった他人の受精卵を着床させた結果、産まれただけなのです。蛙の子は蛙でなければなりません。アメリカ人女性から、アメリカ人の血が全く流れていない日本人の子供が生まれることはありません。今回は生まれたわけですが、それは医学の進歩によって可能になっただけです。他方、向井さんにとっては、確かに腹を痛めたわけではありませんが、生まれた子の遺伝情報はばっちり自分のものです。
 結論は言わずもがなではないでしょうか。 

  最高裁判所は現在の民法の解釈からは、アメリカ人女性こそ、母親であると解するほかないというのですが、そもそも民法には母親をどのように定めるかを決めた条文はありません。
 民法772条1項が根拠となるという論者もおられるようですが、同条項は、母親が誰かを定めた規定ではなく、父親が誰かを推定するための条文です。「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」というものです。
 最高裁判所は現にある民法の条文にこだわったのではなく、むしろ、なぜ民法が母親をどのように定めるかの条文を設けていないのかというところにこだわってしまったのでしょう。民法に母親を定める条文がない理由は、それこそ太古の昔よりの普遍と思われた摂理の故です。自分の血のつながった子は、自分が腹を痛めて産むしかないというものです。他人の子は所詮、他人の子であって、自分の血の分けた子供ということはあり得ないということです。つまり、わざわざ法律が母親はどのように決めるかなど定める必要はなかったのです。
 そのことを受けて、最高裁判所は、民法が太古の昔より普遍と思われた摂理により子供が生まれることを想定している以上、民法上、アメリカ人女性こそ母親であると考えざるを得ないのだと判断したわけです。 

 しかし今、突きつけられた問題は、医学の進歩によって、今までは考えられなかった形で子供が生まれるようになったということに、どのように対処するかです。
 最高裁判所は、現行民法の解釈を持ち出して結論を正当化しようとしましたが、民法は、太古の昔より不変と思われた摂理以外の方法で子供が生まれるなどということは全く想定していなかっただけで、決して医学の成果を否定するという強い姿勢に立っているわけではないのです。民法は医学の進歩を想定しておらず、そのことについては何もコメントしておりません。即ち現行民法の解釈からは何も結論は導かれないのです。
 だとしたら、素直に科学的に、その子供の遺伝子の提供元である向井さんこそ母親であると考えて何の問題もなかったはずです。
 尚、この文章をまとめるに当たり、インターネットで調べていたら、ある学者の方のまとめたものに、今回の代理母の問題に限らず、日本の民法は、必ずしも遺伝上・生物学上の親と法律上の実親とは一致させているわけではないという記述がありました。しかしそんなことはありません。
 日本の民法も遺伝上・生物学上の親を法律上の実親として考えて来たことは間違いありません。   
  さて、今回の問題と関連しますが、不妊治療の行き着くところの選択として、第三者の精子又は卵子の提供を受けて、子供を望む夫婦の子供として出産させるという場合があります。
 これも医学の進歩により、今までではあり得なかった形で子供が生まれる場合の一つですが、こちらのパターンについては、日本でも違和感なく広く受け入れられているようです。
 でもよくよく考えてみると、夫婦の納得の上で、第三者から精子又は卵子の提供を受けるといえば聞こえはよいですが、その実体は、昔の大名等で、どうしても嫡子が必要な場合に側室に子供を産んでもらったりしたというのと何も変わりありません。現在では、一夫一婦制は厳格に守られるべきとされており、そのようなことは断固として認められません。正式な夫婦の間に生まれたわけでない子供は非嫡出子とされ、相続の際などにも差別されてしまっております(注:その後、平成25年9月4日の最高裁判所決定で違憲判断がされました。)。それなのに、医学の力を借りて、かつての側室に子供を産んでもらうというのと同じことをしたときには、法的に夫婦の間の子として認めるというのは、いかがなものなのでしょうか。
 本来、普通に考える限り、あくまでも生まれた子の父親は精子提供者、母親は卵子の提供者であるはずです。だから第三者に精子又は卵子の提供を受けて生まれた子供は、本来、夫婦間の子供ではなく嫡出子ではないとして取り扱われなければならないはずです。  

  もっとも、出生届け提出の際に、第三者から精子又は卵子の提供を受けましたなどと申告する必要はないはずですので、実務的には大きな問題ではありません。
 しかし向井さんのケースに接して、理屈の上ではあべこべだとの思いを強くしたので、取り上げることとした次第です。