一度、交通事故が発生すると多岐にわたっていろいろな損害が発生します。
しかし今回はそのうちの物損、つまり事故に遭うことで損傷を受けた車両の修理代について取り上げます。
もちろん車両の修理代は相手方に対して請求できます。但し民法722条2項に基づき、多くの交通事故を元に類型化されて決まる過失割合に応じて一定割合で減額されることは仕方ありません。
しかしです。新車が家に来て初めて本格的にドライブしていたら事故に遭ってしまったというならよいのですが、そういう特別なケースでない限りは、必ずしも修理代として過失割合に応じて計算されたとおりに、相手方に対して損害賠償請求できるとは限らないのです。
なぜなら車が完全に壊れて修理不能、廃車にせざるを得ないとき、いわゆる全損というときには、その被害にあった車の事故当時の時価が損害であるとされるのですが、それとのバランスを取らなければならないと考えられているからです。
車両の時価は新車で購入したときは数百万円した場合であっても、たちどころに中古車扱いになって価値はどんどん下落していくわけです。5、6年も乗れば、桁が変わのは当たり前、50万円を下回ることとて珍しくありません。車両の価値がどんどん下落してしまう現実があるために、事故に遭っても修理すればまだ使える程度の被害に留まったにもかかわらず、全損で廃車にしなければならないような被害に遭ったときに認められる損害額より高額の修理代を損害として認める訳にはいかないとされてしまうのです。このことを車は物理的には全損の被害を被ったわけではないが、経済的には全損の被害を被ったのと同じであるという意味で経済的全損といい、全損なのだから、被害を受けた車の時価を損害として認定するというわけです。
というわけで、例えば修理代金が60万円と見積もられていて、過失相殺で減額されても48万円の範囲で損害として認められるはずであるにも関わらず、その車両が15年間にわたり15万キロも走行した車であったりすると、結局、10万円が認められればまだ良しとしなければならないということこともありえるのです。
ですが、本当にそれでよいのでしょうか。
確かに全損とされるよりも被害の程度が軽いはずなのに、より高額な損害賠償請求が認められるのは不公平というのも分かります。しかし実際、それだけの修理代金がかかることには違いないのですし、それを被害者が自己負担しなければならないというのはおかしくはありませんか?
車両ではなく、家電製品などが故障したときに修理をお願いするよりも新しい物に買い換えた方が安くつくという場合は少なくありません。実際、修理代についてそのような見積もりが示されれば敢えて高い費用をかけて修理をお願いするより、この機に新商品に買い換えてしまうのが普通です。しかし車両は違います。新らしく車を購入すれば、中古車を購入するのでない限り、修理代金とは桁違いの高額な売買代金を支払わなければならなくなるのは明らかです。だから家電製品が故障したときのように思い切ることはできず、修理できるのであれば修理して、車に乗り続けることにするほかはありません。結局、事故にあった車の時価を超える修理代相当額は自己負担をせざるを得ないということになります。
経済的全損という考え方も一理はあるけれども、やっぱり納得できない気持ちは払拭できません。
まず、そもそもが事故にあった車両が修理不可能な場合、即ち全損の場合の損害の評価の仕方に問題があるのではないでしょうか。車を買い換えざるを得ないとき、車を購入できる程度の金額を損害額として評価することにしてはどうでしょう?全損の場合には、新しい車の購入代金を損害額(もちろん、事故にあった車と同等のグレードの車両を購入することを想定するべきです。)とすれば、修理のみでそのまま乗り続けることができる場合に修理代金の全額を損害として認めることに支障がなくなるはずです。
しかし、日本で損害額を評価するとき、その被害を受けた物の時価によることが大原則となっています。損害賠償が問題になる財産は車両だけではないのに、車両だけを特別扱いにして別の基準で損害額を算定するのにはやはり無理があるといわざるを得ません。やはり時価を基準に考えなければならないことは動かせないでしょう。とすると事故に遭った車両が全損の被害を被った場合の損害額の算定基準は変更する余地がないということになります。
むしろいっそのこと、端的に全損で車両を廃車にせざるを得ないときよりも修理代金が高くなることがあってもそれは仕方がないというように、根本的に考え方を改めるべきだと思います。経済的全損などという概念は否定すればよいのです。
経済的全損の概念を認めると、確かに修理が可能な事故について、車両が全損の被害を被ったときよりも損害賠償額が高額になってしまう事態は避けられ、その意味で合理的ではありますが、実際、被害を被っているのに修理代金の全額が保障されないという不合理を受け入れなければならなくなります。経済的全損の概念を否定すれば、その逆に、常に修理代金の全額の賠償を受けられる代わりに、それより重大な被害、車両を廃車しなければならない程の被害を受けたときの方が、損害額は低く抑えられてしまうということになります。いずれにせよ不合理な点は生じます。
でも同じ不合理であるならば、経済的全損を否定した場合の、全損の被害を被っても修理が可能な程度の被害に留まる場合よりも賠償額が安く抑えられてしまうという不合理の方を犠牲にするべきではないでしょうか。その不合理は、車両の価値が一度利用し始めたら、どんどん下落してしまうという現実に起因しているに過ぎません。車両の被害が全損になったときは本当に悔しい思いになると思いますが、それに修理すればまだまだ乗れる程度の被害を受けたに留まった被害者までつきあわせることはないでしょう。全損になってしまった場合と修理すればまだまだ乗れる程度の被害に留まった場合との公平も無視はできませんけれども、修理代金の一部を自己負担させる不都合の方が大きな問題だと思います。
交通事故の場合の損害賠償については、もう長年にわたり多くの事例を通じて、様々な考え方が固まってきており、弁護士が議論を戦わせてどうにかなるという場面は少なくなっているのが現状です。しかし不合理な点は常に問題提起していく姿勢は忘れてはならないと思いますし、必要な場合には、ダメ元で、保険会社の交渉においても、訴訟においても粘り強く経済的全損の不合理性を訴えかけていきたいと思います。