今回は法律上当然に実現できなければならないにもかかわらず、現実的には必ずしも実現させることができるとは限らない種類の権利についてご紹介します。本来、法律というのは権利の実現のための取り決めであるという役割があるので、権利として認められているにもかかわらず、実現させることができないなどということがあってはならないはずですが、ごく稀に権利の実現が図れないこともあるのです。
ここでは、2つご紹介します。
一つは土地の所有権を放棄することです。
自分の持ち物はいらなくなったら捨ててしまって構いません。これは所有者の当然の権利であり、捨てる権利は所有権に含まれるものといえます。もちろん捨てようとする物によっては、捨てる方法に制約がある場合が少なくありません。しかし捨てること自体ができない物はないはずです。土地についても同様で、もう要らないとして捨てることができます。もちろん捨てるとはいっても、土地のことですから、ごみ箱に放り込んだり、ごみ置き場に運ぶというわけにはいきません。ではどうするかというと、「もうこれは要りません」と世間に向かって宣言すればよいのです。
ところが普通の物と違って土地については、所有者が所有権を放棄した場合には国有財産に組み入れられるという取り扱いとなっています(民法239条2項参照)。
しかしここに問題があって、国は「この土地は受け容れられません」と断ることができるのです。むしろ原則として断っているというのが実態のようです。国の立場はよく分かります。一般に、土地は価値が高いはずであり、普通の人にとっては「腐っても鯛」なのです。所有権を放棄しようという奇特な人などいるはずがありません。それにもかかわらず所有権を放棄しようというのですから、その土地は使い道が全くない一方、持っているだけでコストがかかるうえ、売却しようとしても売却できないような代物だといえるでしょう。国がそんな邪魔な物をいちいち引き受けていたら大変です。
とはいえ、民法上は国の姿勢がどうであろうと、元の所有者が土地の所有権を放棄した以上は国有財産に組み入れられるはずです。ところが土地には登記簿があります。土地では登記簿上の所有名義があるとされている人が所有者であるという推定を受ける扱いになっています。そのことと関係して土地の所有権を放棄しても登記簿上、依然として元の所有者に所有名義があるという形のまま登記されているとすると、事情を知らない第三者はやはりその人を所有者として取り扱ってしまいます。いくら世間に対して、「もうこれは要りません」と言ってみたところで、そんな宣言は一国の大統領の演説とは違って誰も聞いているわけではありません。結局、登記簿から自分の名義を抹消してもらわなければ所有権の放棄は無意味になるのです。
土地の所有権の放棄の場合は、放棄と同時に国有財産になるわけですから、国名義への移転登記がされればよいということになるのですが、前述したように国が拒否しつづける限り、どうしようもなくなります。つまり土地の所有権は事実上、放棄できないといってもよいことになってしまいます。
ここで国に対して土地の登記名義を引き受けるよう訴訟をするかということも考えられますが、私の調べた限り、前例はないようです(そもそも登記名義を移してもらいたい側の当事者から登記名義人に対して訴訟をすることが普通なのですが、その逆は異例なことなので、認められるための要件は厳しいのではないかといわれています。この点は更に検討してみることとしたいと思います。)。
尚、所有権を放棄した場合、国の物になるというのは建物も同じです。建物も土地と同じく不動産とされ、土地と同様に登記簿上の名義人が所有者であると推定される取り扱いがされていますので、土地の所有権を放棄する場合と同様の問題があります。しかし建物の場合は、所有権を放棄することは可能です。建物を取り壊した上で、抹消登記すればよいからです。解体費用や廃材の処分費用がかかりますが、これは普通のものを捨てるときでも一定の処分費用がかかることを考えると仕方ないでしょう。
しかし土地の場合は捨てること自体ができないのです。
第二の例は、例えばあなたがある会社の取締役に就任した記憶がないのに、何時の間にか就任したこととして、その会社の登記簿に登記されてしまった場合です。当然、そのような虚偽の登記は正してもらいたいところです。
このような登記がされていることに気がついたのに、放置したままでいると、その会社が不正を犯したり、取引に関連して第三者に損害を与えたりすると、取締役として責任を追及されてしまうことも覚悟しなければなりません(会社法423条、会社法429条、商法14条)。従って当然に、会社に対して、そのような虚偽の登記は抹消してもらうよう請求できるはずですし、またそうする義務があるとさえいうことができます。
会社が要請に対して任意に応じてくれればよいですが、黙殺されてしまったらやはり裁判に訴えるほかないでしょう。
ところがめでたく裁判であなたの要求が認められたとしても、会社が協力してくれなければ、登記は正すことができないままとなってしまうのです。それでは裁判所も面目丸つぶれです。裁判所としてもこのように面目がつぶれるのは嫌なので、この種の裁判は取り下げていただけないかとお願いされることも少なくありません。
なぜそうなのかというと、取締役会が設置されることになっている株式会社の場合は取締役は3人以上(会社法331条4項)いなければならないとされています。そして会社法では、ある取締役が退任した結果、その所定の人数から取締役または監査役の人数が不足してしまうときは、後任が決まるまでは取締役または監査役としての権利義務を引き続き行うよう求めています(会社法346条1項)。この規定の延長として、登記簿上、役員を変更する際も、新任の取締役の就任が決まっていて人数の欠員が生じないようにならなければ、変更登記はできないという取り扱いになっているのです(昭和43年12月24日最高裁判所判決)。
もちろん、退任するわけではなく、もともと取締役や監査役に就任した事実はなかったので関係ないではないかと言いたいところです。しかし、登記簿を管理する法務局には実情や背景事情を事細かに調査する権限はなく、出てきた申請書と添付書類だけで形式的に表面的に判断することしかできません。従って、役員の退任による登記の訂正なのか、虚偽の登記を改めるだけなのか、法務局は判断できないということになります。提出された判決の理由を読めばわかりそうなものですが、それを読むと実質的な判断に踏み込んでいると批判されるのを恐れるためか、丁寧に読まないという取り扱いになっており(読んでも無視をする)、結局、役員の人数が不足したままになるからということで法務局は登記の変更を受けてくれないのです。