最高裁判所見学記

 さる平成15年5月29日、最高裁判所の見学に行ってきました。これは私が所属している弁護士のグループの出身の方が、今、最高裁判所の裁判官を勤めておられるため、そのグループのメンバーのためにと見学会を企画していただいたことで実現したのです。私はこのような機会を与えていただけたことに感謝しています。この場を借りてお礼を申し上げることにします。
  そしてその見学会での感想を皆様にもお伝えしようと思います。
  本当なら、写真も公開できるとよかったのですが、当日は残念ながらカメラを用意して行きませんでしたし、いずれにしろ仮に写真を撮っていたとしてても、公開するとなると、最高裁判所に許可を得なければならないと思いますので、いずれにしろ難しかったでしょう。どうかお許しください。  
  それにしても、弁護士が最高裁判所の見学というと、皆様は「弁護士なのに、何を今更。」と思われることと思います。しかし我々普通の弁護士にとっても、最高裁判所は特別な裁判所なのです。
  といいますのは、最高裁判所がまともに取り組んで判断する案件は、純粋に法律解釈が問題となる場面に限られるからなのです。
  それに対して、普通、我々が取り組む事件は、法律解釈以前の事実関係がどうであったかを巡って争われているわけです。つまり、「お金を貸したが支払ってくれない。」、「いや、お金など借りていない」、「借りたが返した」とか、ある合意が成立したかどうか、ある人の態度がその合意に反しているか否かとか、ほとんどが法律以前の事実関係が争点になっています。このような種類のトラブルについては、最高裁判所はまともに取り扱いません。
  そして法律解釈が問題になる案件がたまにあっても、以前、同種の問題で既に最高裁判所が判決をしていれば、最高裁判所では既に解決済みの問題として処理してしまいます。
  つまり、今まで全く裁判で問題とされなかったような法律解釈をめぐる問題が最高裁判所まで持ち込まれたとき、あるいは以前、最高裁判所で判断はしたものの、時代の変化などもあって、かつての判断を見直す必要があると、最高裁判所自らが考えたときに初めて最高裁判所は本気になってくれるのです。他には、高等裁判所での判決が過去の最高裁判所の考える法律解釈と異なっていたと判断されるときも、法律解釈の統一を図る必要から、最高裁判所は本気で取り組んでくれます。 
  そして最高裁判所が特に深く考える必要もないという案件では、当事者を裁判所に呼び出すこともなく、何の予告もなく突然に当事者の下に判決(決定)が郵送されるという形で決着してしまいます。というわけで、弁護士といえども、最高裁判所が本気で取り組むような事件にはなかなか巡り会えず、依頼者の希望から最高裁判所まで事件を持ち込んだとしても、最高裁判所に呼び出されること自体がなかなか経験できないのだということがお分かりいただけるでしょう。

  というわけですから、我々弁護士にとっても、最高裁判所は縁遠いところです。
  それだからこそ、弁護士にとっては、芸術家がカーネギーホールに憧れるのと同じような意味で憧れの対象となるわけです。
  なにしろ弁護士として最高裁判所に呼ばれたということは、自分が持ち込んだ事件が日本の法律解釈や運用を変えるようなきっかけになるということですし、それが歴史的にも画期的な判決という形で実を結べば、そのような重要な最高裁判決を引き出した弁護士として、大変に名誉なことなのです。
 さて、我々にとっても憧れの対象である最高裁判所ですが、まず正門から入るのも大変です。普通、裁判所は当事者の出入りは自由です。東京地方裁判所や東京家庭裁判所は現在、金属探知機で荷物検査をしていますが、別に「どこに行くのか」とか「なぜ来た」とか問われることはありません。出入り自由であることにはかわりありません。これに対して最高裁判所では、門を入る段階から、しかるべきところに連絡をつけて許可を得なければ入れないようでした。
 これは、普通のほかの裁判所が毎日必ず、事件が法廷で開かれていて、裁判の公開原則から裁判所への出入りが自由であるのに対し、最高裁判所の場合、現実に法廷を開いて審議している場合が少ないということも関係しているのではないかとも思いました。が、 むしろ、裁判のための公開よりも、治安の維持、裁判所の静謐な雰囲気の確保が優先されているようでした。このようなところは望ましいことではないと思いますが、最高裁判所が国会、内閣と並ぶ司法府のトップであることを考えるとやむをえないのかもしれません。 
 そして正門から建物に入ると、まずはロビーの広大さに圧倒されます。床や壁は大理石でできていて空間は上層階の方まで吹き抜けになっています。この空間は、最高裁判所が日本の法律解釈の統一を図り、法律問題の解釈指針を公権的に与えているのだという権威を自ら示し、訪れる者に対してもそれを再認識することを迫っているように感じられました。
 たとえて言えば、一種の大聖堂の雰囲気です。
 この雰囲気は率直に申し上げて私は好きにはなれません。もちろん法律に権威がなければ誰も法律を守らなくなってしまいますから権威は必要ですが、法律はもともと我々の社会生活の規範なのですから、もっと我々に身近であるべきだと私は考えているからです。権威のあることだけを突きつけるような雰囲気はいかがなものかと思うのです。
  ですが、それは他の地方裁判所などが出入りも含めて自由であることで、法律の身近さを体現しているとしてバランスが図られているということなのかもしれません。
 そしてそのロビー部分の奥に大法廷があります。
 こここそが最高裁判所の象徴となるところです。15人の裁判官が並んで着席できる法壇があり、それと向かい合わせの形で当事者席、傍聴席が並んでいます。
 皆様も写真などでご覧になったことはあるでしょう。
 名前からするといかにも大きな法廷というイメージがありますが、意外にそれほど広い空間というわけではないというのが私の印象でした。むしろ名前から想像したところから比べるとコンパクトな作りの空間という印象でした。
  特徴的なのは、普通の地方裁判所などの法廷では、テレビドラマなどでよく見るように、原告席(刑事事件では検察官席)と被告席(刑事事件では弁護人席)とが完全に正面から正対する形になっていて、裁判官から見ると、当時者は横を向いて着席する形になっているのに対し、大法廷では、いずれの当事者も裁判官の方を向いて着席する形になっているということです。
 この結果、最高裁判所では、法廷の中心となる舞台は裁判官席であるという印象を受けることになります。傍聴人はもちろんのこと、当事者も裁判官席を向いて着席するわけですから。それに対して、普通の地方裁判所の法廷などでは、法廷の中心はあくまでも原告と被告が対面して視線がぶつかり合う中央の空間ということになります。裁判官にとってもその部分が真正面になります。
 この座席配置は、最高裁判所が果たす役割が地方裁判所や高等裁判所と質的に違うことを示しているのだと思いました。つまり地方裁判所、高等裁判所レベルで、証人を法廷の真中の席に呼び出すなどして、正に当事者が対面して議論を戦わせてきたわけです。当事者の論戦の舞台になっているわけです。それに対し、最高裁判所まで行くと当事者間の直接の論争よりも、法律解釈について裁判官はどう判断するだろうかという一点に当事者の関心が集まるわけです。このようなことから、必然的に視線が裁判官に集まるように配置されることになるのだと思います。
  あと感じたのは、照明が暗いということです。これがまたその劇場的な雰囲気を一層高めています。
  また小法廷も見学させていただきましたが、大法廷と比べても目に見えて狭いというわけではなく、裁判官が5人着席することが予定されていること以外、目だった違いは分からない程度でした。  
  ところで最高裁判所の建物は大きく分けて三つの部分に分かれているそうです。
  一つは事務棟です。一般の職員等が執務しているところです。ロビーや大法廷、小法廷がある部分は全て大理石を使うなどして、莫大な予算をかけて建築されたことが分かりますし、既に述べたように日本の法解釈をコントロールしている日本の司法のトップなのだという自負がみなぎった、権威で圧倒するような造りになっていますが、一歩、事務棟に入ると、肩の力が抜けた普通の仕事空間に戻ることができます。私たちが見慣れた感覚のところです。 
  残りの一つが裁判官の執務室です。ここがまた特殊なところです。まず廊下に一人一人の裁判官の名札がついています。表札です。廊下からその名札が掲示されているところを曲がって行くと、その裁判官の裁判官室があるわけなのです。廊下に面して直ぐにドアがあるなどして部屋があるのではなく、廊下を曲がって、6メートル程度でしょうか、更にしばらく渡り廊下のようなところを歩く形になるのです。つまり裁判官室は廊下のある部分の建物と更に独立した建物とによって作られているようなのです。そしてまず秘書が仕事をする空間があり、そこにドアがあって始めて裁判官室にたどり着くのです。
  というわけで、随分と奥まったところにあるということがお分かりいただけるでしょう。そしてすごく静かな環境です。物音一つしません。
  部屋もまたすごく広いのです。普通の学校の教室を更に一回り広くしたという感じでしょうか。そこにお一人でお仕事をされているわけです。
  裁判官がみなそれぞれ同じような裁判官室でお仕事をされているため、合議があるとき以外は、一日中、他の裁判官に一切会わないままになる日もあるそうです。
  思うに、最高裁判所はもっぱら法律解釈の指針を示すことが役割とされていますから、裁判というよりむしろ法律の研究をする場所としての環境が用意されているということなのでしょう。     
  という次第で、最高裁判所は事務棟を別とすれば、やはり一般社会とは異なる空間でした。私のような弁護士でさえそう感じるのですから、普通の裁判所の法廷さえご覧になったことがない一般の方々であれば、どうお感じになられるのだろうかと想像もつきません。それでも少しでも最高裁判所がどのようなところなのかイメージをつかんでいただければと思い、法連草で取り上げることにした次第です。
  特に、裁判官室はもちろん一般には見学させてもらえません。裁判官のご好意で特別に招待してもらえたのです。本当に貴重な体験でした。くどいようですがもう一度ここで、感謝の気持ちを表したいと思います。ありがとうございました。